あのライバル会社、買っちゃう?「合併」と「事業譲渡」のメリット・デメリット

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ここで学べる学習用語:合併, 会社分割, 株式交換, 株式移転, 事業譲渡

第56回: あのライバル会社、買っちゃう?「合併」と「事業譲渡」のメリット・デメリット

「競合を買収する」──それは、俺たちスタートアップにとって、一気に事業を拡大し、市場での優位性を確立する夢のような戦略だ。しかし、その甘い響きの裏には、複雑怪奇な法務手続きと、会社経営の根本を揺るがす重大な決断が潜んでいることを、当時の俺はまだ知らなかった。神崎さんとの出会いがなければ、俺はまた「勢い」だけで突っ走り、取り返しのつかない失敗を犯していただろう。これは、ビジラボが成長の踊り場に立ち、初めて「会社を売買する」という大きな壁に挑んだ、俺たちの奮闘の記録だ。


まさかの買収提案? 青木の野望と斉藤の現実

「社長!これ、見てください!」

朝、オフィスに飛び込んできたのは、興奮した様子の斉藤だった。いつも冷静沈着な彼女が、珍しく目を輝かせている。俺が「どうした、斉藤?」と聞くと、彼女は一枚の新聞記事を差し出した。

「これ、うちの競合の『テックブースト』の記事です。先日、大規模な資金調達に失敗して、経営状況がかなり悪化してるって…」

テックブースト。俺たちが開発中のSaaSとほぼ同じターゲット層を狙い、一時はうちよりも先行していたスタートアップだ。技術力には定評があったが、マーケティングが下手で資金繰りが厳しい、という噂は以前から耳にしていた。

「マジか!あそこ、技術は悪くないのに、もったいねぇな…」

俺は記事を読みながら、ふと、ある考えが頭をよぎった。テックブーストの技術と顧客基盤を手に入れれば、ビジラボの成長は一気に加速するはずだ。

「なぁ、斉藤。俺たち、テックブーストを『買っちゃう』ってのはどうだ?」

俺の言葉に、斉藤は一瞬フリーズした。無理もない。創業してまだ数年、社員数も片手で数えるほどしかない小さな会社が、同業他社を買収するなんて、普通なら夢物語だ。しかし、俺の脳内では既に、ビジラボとテックブーストが融合し、業界のトップを走る壮大なビジョンが描かれていた。

「買収、ですか…でも、社長。会社を買うって、どうやるんですか?普通に『買っていいですか?』って言って、お金払えばいいんですか?」

斉藤の現実的な問いに、俺は言葉に詰まった。確かに、「会社を買う」なんて、個人がコンビニでジュースを買うのとはワケが違うだろう。

「いや、えーと…多分、契約書とか、いろいろ必要だよな?株とかも関係してくるのか?」

俺の曖昧な返答に、斉藤はため息をついた。

「社長、まさかまた、何も調べずに突っ走ろうとしてませんよね…?買収って、単純にお金を出せばいいわけじゃないですよ。テックブーストは、うちとは違う組織だし、社員もいる。負債もあるかもしれません。それに、法務や税務の手続きも膨大になるはずです。もし社長がテキトーに進めたら、後でとんでもないことになるのは目に見えてます…」

斉藤の言葉はもっともだった。以前、俺が安易に口約束で契約を交わそうとした時(第16回)、神崎さんに「今、契約が『成立』しましたよ。怖くないですか?」と諭されたことを思い出す。会社という大きな組織の「売買」となれば、その何倍、何十倍ものリスクが伴うはずだ。しかし、このチャンスを逃すわけにはいかない。俺は、決意を新たにした。この壮大な野望を現実にするためには、まず「会社を買う」ためのルールを知らなければならない。

俺はすぐに神崎さんに連絡を取り、事の顛末を説明した。すると神崎さんは、いつもの落ち着いた声でこう言った。

「青木さん、良い視点ですね。スタートアップが成長するための重要な選択肢の一つです。ただ、斉藤さんがおっしゃる通り、会社を買う、つまり『M&A(Mergers and Acquisitions:合併と買収)』には、いくつかの方法があり、それぞれに大きな違いとリスクがあります。最適な方法を選ばなければ、あなたの野望は絵に描いた餅で終わるだけでなく、ビジラボ自体が危険に晒されることになりますよ」

神崎さんの言葉は、俺の頭の中に漠然と広がっていた「買収」という概念に、具体的な輪郭を与え始めた。同時に、その輪郭が持つ複雑さと重さに、俺は再び軽い絶望感を覚えた。一体、俺たちは何から手をつければいいんだ…?この大きなビジネスチャンスを掴むために、俺はM&Aの深淵に飛び込むことを決意した。

「会社を売買する」はパズルの組み立て? M&Aの選択肢

神崎さんは、俺と斉藤を前に、ホワイトボードにサラサラと図を書き始めた。

「青木さん、斉藤さん。M&Aは、大きく分けて『会社を丸ごと一体化する方法』と『事業の一部を切り離したり、一部だけを買ったりする方法』、そして『支配権だけを握る方法』に分類できます。それぞれ、目的やメリット・デメリット、そして手続きが大きく異なります」

俺は身構えた。どうやら、単純な「買う」「売る」の話ではなさそうだ。

「まず、最もわかりやすいのは『事業譲渡』でしょう」

神崎さんはチョークを事業譲渡の文字に向けた。

「これは、テックブーストの『事業』のうち、ビジラボが欲しい部分だけを買い取ることができます。例えば、彼らの開発した特定の技術や、顧客リストだけ、といった形ですね。ビジラボにとっては、不要な負債や事業を引き継がずに済むというメリットがあります」

なるほど、いいとこ取り、か。俺は思わず前のめりになった。

「次に、『合併』。これは、複数の会社が一体となって一つの会社になる方法です。吸収合併と新設合併がありますが、通常は既存の会社が存続し、他の会社を吸収する『吸収合併』が一般的です。この場合、テックブーストは法人格を失い、ビジラボの一部となります」

「法人格を失う…ってことは、テックブーストっていう会社はなくなる、ってことっすか?」

俺の問いに、神崎さんは頷いた。

「ええ、その通りです。そして、『株式交換』と『株式移転』。これは、ビジラボがテックブーストを子会社にする、つまり、親会社と子会社という関係を築く方法です。株式交換は既存の会社を子会社にするために行われ、株式移転は新しく親会社を設立するために行われます」

「そして最後に、『会社分割』。これは、会社が行っている事業のうち、一部を切り離して別の会社に承継させる方法です。吸収分割と新設分割があります。これは、今回のテックブーストの買収とは少しニュアンスが異なりますが、M&Aの一環としてよく使われる手法です」

神崎さんは、淡々としかし淀みなく、M&Aの主な手法を説明していった。俺の頭の中は、新しい用語の洪水でパンクしそうになる。事業譲渡、合併、株式交換、株式移転、会社分割…。どれもこれも、聞いたことはあるが、具体的な違いはサッパリだ。

「青木さん、慌てなくても大丈夫です。これらは、まるで異なるパズルのピースのようなもの。それぞれの特徴を理解し、今回の買収目的とテックブーストの状況に最適なピースを選ぶ必要があります。そして、その選択によって、法的な手続きも税務上の扱いも、従業員の処遇も、全てが大きく変わるのです」

神崎さんの言葉に、俺は改めてM&Aの奥深さと、その選択の重要性を痛感した。これは、ただ会社を買う話じゃない。ビジラボの未来、そしてテックブーストの未来を左右する、経営戦略の最重要局面なのだ。俺は、これまで学んできた会社法や契約法の知識を総動員して、このM&Aのパズルを解き明かそうと決意した。

【神崎の法務レクチャー】M&A戦略を決定づける「組織再編」の知識

「青木さん、斉藤さん、それではM&Aの主な手法について、もう少し具体的に見ていきましょう。まずは、最もシンプルで、スタートアップでも比較的選択しやすい『事業譲渡』からですね」

神崎さんは、ホワイトボードに「事業譲渡」と大きく書いた。

「『事業譲渡』とは、会社が行っている事業の一部または全部を、個別に選んで他の会社に譲り渡す契約です。例えば、テックブーストが開発した特定プロダクト部門だけ、または特定の顧客リストだけをビジラボに譲渡する、といった形ですね」

【神崎の補足解説】事業譲渡(じぎょうじょうと)とは?

会社がその事業の全部または一部を、他の会社に譲り渡すこと。事業を構成する様々な財産(設備、ノウハウ、顧客、契約上の地位など)を一つ一つ選び、個別に譲渡契約を締結する「個別承継」という性質を持つ。ビジラボ(スタートアップ)においては、特定の技術や顧客基盤だけをピンポイントで取得したい場合に有効な手段となる。

「この事業譲渡の大きなメリットは、ビジラボが欲しい部分だけを選んで取得できる点です。もしテックブーストに不要な負債や、ビジラボが関わりたくないようなトラブル案件があった場合、それらを引き継がずに済むわけです。これは大きなリスクヘッジになります」

「なるほど!じゃあ、テックブーストの『Aシステム』っていう革新的な技術だけを買うとか、競合だけどウチと相性の良いエンジニアチームだけ引き抜く、みたいなこともできるってことっすか?」

俺が前のめりで質問すると、神崎さんは「ええ、その認識で合っています」と頷いた。

「ただし、デメリットもあります。事業譲渡は『個別承継』という性質上、譲渡対象となる全ての財産や契約について、個別に権利移転の手続きが必要になります。例えば、顧客との契約や従業員との労働契約は、原則として個別に承諾を得て引き継ぎ直さなければなりません。これは、非常に手間と時間がかかります」

「うわ…そりゃ大変そうだ。顧客が何百社もあったら、全部に同意取らないといけないってことか…」

斉藤が眉をひそめる。確かに、それは想像以上に労力がかかりそうだ。

「次に、『合併』です。これは、事業譲渡とは異なり、会社が『包括的』に一体となる方法です」

神崎さんは、事業譲渡の横に「合併」と書き加えた。

「合併には、吸収合併と新設合併があります。一般的なのは『吸収合併』で、これは、ある会社が他の会社を吸収して一体となり、吸収された会社は法人格を消滅させる形です」

【神崎の補足解説】合併(がっぺい)とは?

複数の会社が合体して一つの会社になる組織再編行為。存続する会社が他の会社を吸収する「吸収合併」と、全ての会社が解散し新たに会社を設立する「新設合併」がある。合併により、消滅する会社の権利義務は全て(包括的に)存続会社に承継されるため、個別承諾は不要となる。ビジラボ(スタートアップ)が市場シェアを一気に拡大したい場合や、組織文化の統合を目指す場合に選択肢となるが、負債も全て引き継ぐリスクがある。

「合併の最大のメリットは、消滅する会社の全ての権利義務が、存続する会社に自動的に引き継がれる点です。事業譲渡のように、個別の契約承諾などを得る必要がありません。これは、大規模な会社の一体化を図る際には非常に効率的です」

「じゃあ、テックブーストの負債も全部、ビジラボが背負うってことっすか?」

俺が尋ねると、神崎さんは厳しく頷いた。

「その通りです。良い点も悪い点も、全て包括的に引き継ぎます。これはメリットでもあり、大きなリスクでもあります。もしテックブーストに隠れた負債や訴訟リスクがあった場合、それが全てビジラボの責任となるわけですからね。そのため、合併の前には徹底的な『デューデリジェンス(詳細な調査)』が不可欠です」

デューデリジェンス…。以前、資金調達の際にVCから受けた厳しい審査(第55回)を思い出す。あれがもっと厳しくなる、と考えるとゾッとする。

「あと、合併の場合、ビジラボの株主総会で『特別決議』が必要になります。これは、以前(第51回)株主総会の話をした際にも触れましたが、通常の過半数ではなく、より多くの賛成が必要な重い決議です」

「特別決議…株主の2/3以上の賛成、でしたっけ?」

斉藤が確認すると、神崎さんは「ええ、その認識で問題ありません」と答えた。

「続いて、『株式交換』と『株式移転』です。これらは、対象会社を子会社にする、つまり『支配権』を取得するための手法です」

【神崎の補足解説】株式交換(かぶしきこうかん)とは?

ある会社(完全子会社となる会社)の発行済株式の全てを、他の会社(完全親会社となる会社)が取得し、その対価として完全親会社の株式などを交付することで、親子会社関係を創設する組織再編行為。完全子会社の法人格は存続する。ビジラボ(スタートアップ)が特定の事業を独立した組織として維持しつつ、グループの一員としたい場合に検討される。

【神崎の補足解説】株式移転(かぶしきいてん)とは?

既存の会社が、新たに設立する会社(完全親会社)の発行済株式の全てを取得させ、その対価として完全親会社の株式などを交付することで、親子会社関係を創設する組織再編行為。複数の会社を共通の親会社の下に置く、いわゆるホールディングス体制を構築する際によく用いられる。ビジラボ(スタートアップ)が将来的に複数の事業を展開し、それぞれを独立した子会社として管理したい場合に、その土台として利用できる。

「株式交換は、既存の会社を子会社にするために行います。例えば、ビジラボがテックブーストの全ての株式を取得し、その対価としてビジラボの株式をテックブーストの株主に交付する、といった形です。テックブーストはビジラボの子会社となりますが、法人格は存続します。事業譲渡のように個別の契約を承継し直す手間はありませんし、合併のようにテックブーストの負債を直接ビジラボが背負う形にはなりません」

「お、それっていいとこ取りじゃないっすか?法人格は残るけど、俺たちの支配下になるってことですよね?」

俺の目に光が宿る。

「支配権だけ握る、という点ではそうですね。しかし、対価としてビジラボの株式を交付する場合、ビジラボの株主構成が変わります。テックブーストの株主が、ビジラボの株主となるわけですから、ビジラボの経営に対する影響力も考慮しなければなりません」

「うわ、そうか。新しい株主が増えるってことか…」

以前、株主は会社のオーナーであり、経営に口を出す権利がある(第7回)と学んだことを思い出す。支配権を握る代償として、自社の株主が増えるリスクは看過できない。

「株式移転は、複数の会社を一つの親会社の下にまとめる、いわゆるホールディングス化を構築する際に使われる手法です。新しく親会社を設立し、既存の会社がその親会社の子会社となります。これも、テックブーストの買収目的によっては選択肢となり得ます」

「そして、最後に『会社分割』です。これはM&Aの手法としても使われますが、正確には会社内部の事業再編の色合いが強いですね」

【神崎の補足解説】会社分割(かいしゃぶんかつ)とは?

会社がその事業に関して有する権利義務の全部または一部を、他の会社に承継させる組織再編行為。事業の全部または一部を既存の他の会社に承継させる「吸収分割」と、新たに設立する会社に承継させる「新設分割」がある。特定の事業部門を切り離して売却したり、逆に受け入れたりする際に利用され、事業の選択と集中、グループ内再編などに使われる。ビジラボ(スタートアップ)が将来的に多角化し、事業ごとにリスクを分散したい場合などに有効な選択肢。

「会社分割は、会社の一部門を切り離して、別の会社に承継させる方法です。例えば、テックブーストが『Aシステム』という事業部門を持っていて、それだけをビジラボに譲り渡すのではなく、そのAシステム部門を独立した子会社として切り出し、その子会社の株式をビジラボが取得する、といった複雑な形も考えられます。これは、対象会社の事業を特定のニーズに合わせて選択的に承継したい場合に有効です」

「つまり、テックブースト側が、自分たちの事業の一部を切り出して売る、みたいな感じっすか?」

斉藤が分かりやすくまとめてくれた。

「ええ、その通りです。会社分割は、譲渡側にとっても、不要な事業を効率的に手放すことができるメリットがあります。ただし、分割に伴う資産や負債の引き継ぎ範囲、従業員の転籍問題など、複雑な手続きが伴います」

神崎さんの解説は、それぞれのM&A手法が持つ特性を鮮明に浮き上がらせてくれた。単に「会社を買う」と言っても、これほど多くの選択肢があり、それぞれに異なる法的、税務的、そして人的な影響があるとは。

「青木さん、重要なのは、これらの手法の中から、今回のテックブースト買収の『目的』に最も合致し、『リスク』を最小限に抑え、『コスト』も適切に管理できる方法を選ぶことです。ビジラボが何を最も重視するのか。それは、テックブーストの技術力なのか、顧客基盤なのか、それとも優秀な人材なのか。そして、彼らが抱える負債や潜在的なリスクは許容できる範囲なのか。これらを総合的に判断する必要があります」

俺はホワイトボードに書かれた「事業譲渡」「合併」「株式交換」「株式移転」「会社分割」の文字をじっと見つめた。ただ勢いだけで突っ走っていたら、間違いなく取り返しのつかない事態になっていただろう。神崎さんの冷静な解説が、俺の頭を冷やし、同時に経営者としての選択の重みを教えてくれた。

青木の理解と葛藤:M&Aは経営の「デザイン」だ

「うわー、マジか…」

俺は、神崎さんがホワイトボードに書いたM&Aの選択肢と、それぞれのメリット・デメリットを交互に見比べながら、頭を抱えた。

「つまり、神崎さん。要はこういうことですよね?」

俺は、自分の言葉で理解しようと必死だった。

「『事業譲渡』は、例えばテックブーストの『Aシステム』っていう事業だけを、部品みたいに買い取れるイメージっすよね?負債とかトラブルとか、いらないものは置いといて、欲しいものだけピンポイントで手に入れる。でも、顧客とか従業員の契約は全部やり直しで、手間がかかる、と」

「ええ、青木さん。その理解で概ね問題ありません。個別承継という特性を捉えられていますね」

神崎さんは穏やかに頷いてくれた。俺はさらに続ける。

「で、『合併』は、テックブーストっていう会社を、丸ごとビジラボに吸収しちゃうイメージ。法人格も消滅させて、全部ビジラボの一部にする。一気に組織を大きくできるけど、いいものも悪いものも、負債もトラブルも全部引き継がなきゃいけない。しかも株主総会の特別決議が必要で、手続きも重い…」

「その通りです。包括承継の性質と、それに伴うメリット・デメリットを理解していますね。リスクが大きい分、デューデリジェンスの重要性が増します」

神崎さんの言葉に、少しだけ自信が湧いてくる。

「それから、『株式交換』。これは、テックブーストをビジラボの『子会社』にする、ってことっすよね?テックブーストっていう会社自体は残るけど、経営はビジラボが握る。顧客や従業員との契約もそのままだから、手間は少ない。でも、その代わりビジラボの株式をテックブーストの株主に渡すから、新しい株主が増えて、ビジラボの株主構成が変わるリスクがある、と」

「良いですね。支配権の取得という目的、そして対価としての株式交付による自社への影響まで、よく考えられています」

俺はフゥッと息を吐いた。頭の中が整理されていく感覚がある。

「そして、『株式移転』は、新しい親会社を作って、その下にビジラボとテックブーストをぶら下げる、みたいな。ホールディングス化っていうやつっすか。将来的には複数の事業を分けて管理するのに便利そうだけど、今回の買収とはちょっと目的が違う…」

「おっしゃる通りです。事業戦略として、より上位の組織再編に属します」

「最後に、『会社分割』。これは、テックブースト側が自分たちの事業の一部を切り離して、それをビジラボが引き取る、みたいな。これも特定の事業だけ手に入れるって意味では『事業譲渡』に似てるけど、手続きがもっと会社法的に複雑なんすよね?」

「はい。譲渡側から見れば『事業を切り出す』行為であり、譲受側から見れば『特定事業を包括的に引き受ける』行為です。事業譲渡と比べて、債権者の保護手続きなど、より厳格な手続が求められます」

俺はホワイトボードの字をなぞりながら、深く考え込んだ。 M&Aって、ただ「会社を買う」ことじゃない。ビジラボがどういう未来を描くのか、そのために相手から何を、どうやって手に入れるのか、そしてそれに伴うリスクをどう最小化するのか、という「経営のデザイン」そのものなんだ。

テックブーストの技術は魅力的だ。しかし、彼らの資金繰りの悪化が示すように、潜在的な負債や法務リスクがあるかもしれない。それを丸ごと引き受ける『合併』は、今のビジラボには重すぎる賭けかもしれない。 かといって、欲しい技術だけを『事業譲渡』で手に入れるのは、個別の契約承諾の手間が膨大で、スピードが命のスタートアップには致命的になる可能性もある。 『株式交換』で子会社にするのは魅力的だが、ビジラボの株式を渡すことで、経営の自由度が下がる可能性もゼロじゃない。

俺はまだ答えを出せないでいた。しかし、確実に言えるのは、俺はもう以前の「勢いだけで突っ走る青木健一」じゃない、ということだ。以前、神崎さんから「労働契約」(第10回)や「36協定」(第12回)の重要性を叩き込まれてから、俺は「ルール」がただの足枷じゃなく、自分たちを守り、より強くするための「戦略」であることを学んできた。今回のM&Aも、まさにその最たるものだ。

「神崎さん…これ、すぐには決められませんね。まずは、テックブーストの財務状況や契約関係を、もっと詳しく調べないと。どんな『リスク』があるのか、何が本当に『欲しい』のか…」

俺は、M&Aという巨大なパズルを解き始めるための、第一歩を踏み出したのだった。

成長へのM&A、賢明な一歩を踏み出す

神崎さんの丁寧な解説と、俺自身の悪戦苦闘の思考プロセスを経て、俺はM&Aに対する漠然としたイメージが、具体的で戦略的な視点へと大きく変化したことを実感していた。ただ「買っちゃう」という短絡的な発想から、「どのような手法で、何を、なぜ手に入れるのか」という、経営者としての深い洞察が求められるフェーズに入ったのだ。

「青木さん、素晴らしい成長ですね。M&Aは、会社の未来を大きく左右する戦略的な意思決定です。しかし、その決定を誤れば、取り返しのつかない結果を招く可能性もあります。焦らず、じっくりと情報を収集し、専門家の意見も聞きながら、最適な手法を選んでいきましょう。それが、ビジラボの成長を確実にする唯一の道です」

神崎さんの言葉は、俺の背中を力強く押してくれた。俺は斉藤と顔を見合わせ、大きく頷いた。

「よし、斉藤!まずはテックブーストの財務諸表とか、持ってる契約書とか、徹底的に情報収集だ。そして、ウチが本当に欲しいものが何なのか、もう一度しっかり洗い出そう。技術なのか、顧客なのか、それとも優秀な人材なのか…」

「はい、社長!分かりました。デューデリジェンスの準備も始めましょう。経理として、負債のリスクもきちんと確認します」

斉藤の返事に、俺は力強く拳を握りしめた。M&Aという未知の領域に足を踏み入れることに、不安がないと言えば嘘になる。しかし、この大きな挑戦の先に、ビジラボの飛躍的な成長があることを確信していた。そして、そのためには、これまで以上に法務という武器を使いこなす必要がある。俺たちの「法務奮闘記」は、新たな、そしてより複雑なステージへと突入したのだ。


2. 記事のまとめ

📚 今回の学び(神崎メンターの総括)

  • [学習ポイント1]: M&Aには「事業譲渡」「合併」「株式交換」「株式移転」「会社分割」など多様な手法があり、それぞれ目的・メリット・デメリットが異なる。

  • [学習ポイント2]: 「事業譲渡」は特定資産・事業の「個別承継」で、リスク選択が可能だが手続きが煩雑。「合併」は権利義務の「包括承継」で効率的だが、負債も含め全て引き継ぐリスクがある。

  • [学習ポイント3]: 「株式交換」「株式移転」は親子会社関係を構築する手法で、法人格は存続しつつ支配権を得るが、自社の株主構成に影響が出る可能性がある。

  • [学習ポイント4]: M&Aの成功には、目的の明確化、対象会社の詳細調査(デューデリジェンス)、そして最適な手法の選択が不可欠であり、法的・税務的な影響を深く理解する必要がある。

今週のリーガルマインド(神崎の教訓) 「M&Aは、単に会社を買う行為ではありません。それは、貴社の未来を『デザイン』する、最も戦略的な意思決定です。リスクとリターンを正確に秤にかけ、法的構造を理解した上で、賢明な選択をすることが、成長の鍵となります。」

💭 青木の気づき(俺の学び)

  • M&Aって、ただ「金出して買えばいい」ってもんじゃなくて、会社の未来をどうしたいのか、っていう「設計図」を描くみたいなもんなんだな。合併で全部丸ごと手に入れるのか、事業譲渡でピンポイントで狙うのか、それとも株式交換で子会社にするのか…それぞれのやり方で、メリットもリスクも手続きも全然違う。
  • 特に「負債も全部引き継ぐ」とか「自社の株主構成が変わる」とか、今まで想像もしてなかったようなリスクがあることを知って、正直ビビった。でも、知らなかったら確実に失敗してた。今回学んだことを活かして、俺たちのビジラボにとって一番賢い選択肢を見つけてやる!

3. 次回予告

M&Aの複雑さに直面し、情報収集を始めた俺たちビジラボ。しかし、その「買収」の検討を進める中で、予期せぬ知らせが飛び込んできた。なんと、検討中の競合「テックブースト」が、別の会社に「身売り」を打診されているというのだ。さらに、その「身売り」自体が、単なる倒産ではなく、「解散」や「清算」という選択肢も視野に入れているという。俺は「会社が終わる」ことの意味を改めて問われることになる…

次回: 第57回 会社を「畳む」! 解散と清算

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