社長=取締役?「代表取締役」って、結局ナニする人?

ここで学べる学習用語:取締役、代表取締役、取締役会、善管注意義務
第8回: 社長なのに「偉い人」じゃない?「取締役」と「代表取締役」の責任の重さ
スタートアップ企業「ビジラボ」を立ち上げたばかりの俺、青木健一。会社設立の手続きもようやく落ち着き、いよいよ本格的に事業にエンジンがかかり始めた。しかし、浮かれ気分も束の間、神崎さんから突きつけられる「経営判断の重い責任」という言葉に、俺は社長の役割の本当の意味を知ることになる。
熱狂の先で、俺を待っていた「社長」の現実
「うおおお!ついに、ついにビジラボの登記が完了したぞ!」
インキュベーションオフィスの簡素なミーティングスペースに、俺の興奮した声が響き渡った。隣では、経理・総務を一人で切り盛りする斉藤さんが、どこか呆れたような、それでいて少し安堵したような表情で書類を整理している。
「社長、お疲れ様でした。これでようやく株式会社としてのスタートラインに立てましたね。あとは、法人口座の開設と、税務署への届け出が…」 「わかってるって、斉藤さん!でも、これからはガンガン攻めていけるってことだろ?俺が社長なんだから、全部俺が決めて、ビジラボを世界一の会社にしてやるぜ!」
俺は興奮のあまり、両腕を大きく広げて見せた。ようやく会社が形になった。前回の「法人格否認の法理」とか「登記」とか、小難しい話を聞いてビクビクしていた日々も過去のものだ。これからは、俺の情熱とアイデアを思う存分ぶつけられる!そう信じていた。
「いや、社長。青木さん、落ち着いてください」
背後から、冷蔵庫の氷がカラン、と揺れるような、ひんやりと落ち着いた声がした。神崎凛さんだ。いつも通り、俺たちの様子を遠巻きに眺めていたらしい。
「青木さんが社長としてリーダーシップを発揮するのは素晴らしいことですが、その『全部俺が決める』という認識は、少し危険かもしれませんね」 「え、何が危険なんすか?俺が社長なんすから、俺の会社で俺が全部決めて何が悪いんすか!」
俺はむっとした。せっかく気分が盛り上がっていたのに、水を差された気分だ。
「確かに、青木さんは『代表取締役』ではありますが、会社法における『取締役』としての役割と責任を、正しく理解しておく必要があります」 「と、取締役?社長と取締役って、違うんすか?俺、社長だから、取締役も兼ねてるんすよね?要は、偉い人ってことじゃないっすか!」
俺は完全にフリーズした。社長と取締役が違う?偉い人じゃない?そんなバカな話があるか。俺は今まで、自分が「代表取締役社長」という肩書きを持つことで、全知全能の権限を手に入れたとばかり思っていた。しかし、神崎さんの表情はいつになく真剣だった。
「青木さん、それが『致命的』な誤解です。このままでは、あなたの情熱が、会社とあなた自身を危険に晒すことになりかねません」
彼女の言葉に、俺の顔からサッと血の気が引いた。まただ。また俺の知らない「落とし穴」が、こんな身近なところに潜んでいたのか。
「会社」という名の船を動かす、見えない役割分担
「……ま、マジっすか?俺、社長なのに、危ないってどういうことっすか?」
俺は震える声で尋ねた。神崎さんはいつもの冷静な口調で、俺の目の前に「株式会社の組織図」が描かれたホワイトボードを広げた。
「青木さんがおっしゃる『社長』は、多くの場合『代表取締役』を指します。ですが、会社法上は、まず『取締役』という役職があり、その中から『代表取締役』が選ばれる、というのが基本です」 「え?取締役の中に、代表取締役がいる?何それ、ややこしすぎでしょ!」
俺は思わず叫んだ。神崎さんはため息を一つ。斉藤さんも「私も最初、そう思いました」と頷いている。
「株式会社は、株主から出資を受けて事業を行う組織です。その事業を実際に動かすのが、青木さんたち『役員』と呼ばれる人々です」 「役員…」 「はい。そして、この役員の中核をなすのが『取締役』です。取締役は、会社の事業運営に関する意思決定を行い、その業務を執行する役割を担います。イメージとしては、会社という船の『操舵手』のようなものです」
神崎さんは、ペンを手にホワイトボードに図を書き始めた。
「今は青木さんが一人で全てをこなしているわけですが、本来、会社が大きくなれば、複数の取締役がそれぞれの専門性を持って事業を分担し、協力して経営を進めることになります。そして、その取締役の中から、会社を代表して契約を締結したり、対外的に会社の顔となるのが『代表取締役』です」 「じゃあ、俺は今、一人で操舵もしてるし、船長として外との交渉もしてるってことか?」 「その通りです。だからこそ、青木さんの認識がズレていると、この船全体が間違った方向に進むか、最悪の場合、座礁しかねない、ということです」
俺は額に汗がにじむのを感じた。社長である俺が、何一つ理解していなかったという事実が、俺の情熱的な心を急速に冷やしていく。
【神崎の法務レクチャー】会社の舵取り役、「取締役」の全貌
「青木さん、よく聞いてください。会社法において『取締役』が何を意味し、どのような責任を負うのか。これはスタートアップの経営者である青木さんが、真っ先に理解すべき重要な概念です」
神崎さんはホワイトボードの図を指しながら、ゆっくりと解説を始めた。
「まず、大前提として、『株式会社』とは『法人』という独立した『人』であると、第3回で学びましたね。その法人の意思を決定し、実行するのが、人間の手足となる『機関』です。取締役や株主総会などが、この機関にあたります」
「はい、法人って、会社そのもののことでしたっけ」と俺はなんとか食らいつく。
「その通りです。そして、取締役とは、この株式会社の業務執行を決定し、その職務を執行する機関、つまり会社の『経営者』そのものです。社長という肩書きはあくまで社内的なもので、法的には『取締役』または『代表取締役』であることに意味があります」
【神崎の補足解説】取締役(とりしまりやく)とは?
株式会社の業務執行に関する意思決定を行い、その職務を執行する役員。株主から経営を委任され、会社の利益のために職務を遂行する義務を負う。スタートアップでは社長が一人取締役であることが多いが、会社法上の責任は一人でも複数でも変わらない。
「取締役の役割は大きく分けて二つあります。一つは『業務執行の決定』。例えば、新規事業の立ち上げ、多額の資金借入、重要な契約の締結など、会社の経営に関わる重要な意思決定を行うことです。そしてもう一つは、その決定に基づいた『業務の執行』、つまり実際に事業を進めていくことです」
「なるほど、じゃあ俺が日々考えていることは、全部その業務執行の決定ってことっすね」 「その通りです。そして、取締役が複数いる会社では、その取締役の中から会社の代表者として選ばれるのが『代表取締役』です。青木さんがまさにこれにあたりますね」
【神崎の補足解説】代表取締役(だいひょうとりしまりやく)とは?
株式会社を代表し、業務に関する一切の裁判上または裁判外の行為をする権限を持つ取締役。対外的に会社を代表し、契約締結や訴訟対応などを行う「会社の顔」となる。取締役の中から選定され、選定された旨を登記する必要がある。
「代表取締役は、文字通り『会社を代表する』権限を持っています。青木さんが取引先と契約書を交わしたり、銀行から融資を受ける際に印鑑を押したりするのは、この代表取締役としての権限に基づいています。これは、会社法第349条第1項で明確に定められています」 「じゃあ、俺がビジラボの顔ってことっすね!」 「はい。ですが、顔であると同時に、その行為はすべて会社の行為として帰属し、重い責任が伴います。そして、この代表取締役を含め、取締役には『善管注意義務』という非常に重要な義務が課せられています」
神崎さんの声のトーンが一段と低くなった。
「善管注意義務とは、『善良な管理者としての注意義務』の略です。簡単に言えば、自分の財産を管理するのと同じように、プロの経営者として、会社のために最大限の注意を払って職務を遂行しなければならない、という義務です。漫然と経営を行うことや、知識不足を理由に怠慢に陥ることは許されません」
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。自分の財産を管理するのと同じように……いや、それ以上に、プロとして、か。
「例えば、青木さんが安易な判断で、会社に大きな損失を与える契約を結んだとします。その判断が、専門家として当然払うべき注意を怠った結果だと判断されれば、青木さんは会社に対して損害賠償責任を負う可能性がある、ということです」 「損害賠償っすか……!俺、これまで営業時代のノリで『行けるっしょ!』みたいな感じで決めてたこといっぱいあるんですけど…」 「それが危険だと言っているのです。特にスタートアップでは、リソースが限られている分、一つの判断ミスが会社にとって致命傷になりかねません。だからこそ、取締役としての『善管注意義務』を常に意識する必要があるのです」
神崎さんはさらに続けた。 「また、取締役には『忠実義務』というものもあります。これは、会社とその株主の利益のために、誠実に職務を遂行する義務です。例えば、会社の利益になるはずの事業を、自分の別会社で始めてしまうような行為は許されません」 「つまり、会社のお金を自分のものみたいに使ったり、会社に損させるようなことを勝手にやっちゃダメってことっすね」 「そういうことです。そして、青木さんのような一人取締役の会社には関係ありませんが、複数の取締役がいる会社には『取締役会』という会議体が存在します」
【神崎の補足解説】取締役会(とりしまりやくかい)とは?
3名以上の取締役がいる株式会社に設置が義務付けられる機関。会社の重要な業務執行の決定を行い、取締役の職務執行を監督し、代表取締役を選定・解職する。経営の透明性・健全性を確保する役割を担う。
「取締役会は、会社の重要な意思決定を行うと共に、各取締役の職務執行を監督する役割も持ちます。代表取締役の選定や解職も、この取締役会が行います。つまり、経営における『チェック・アンド・バランス』の機能ですね。青木さんのように取締役が一人しかいない会社の場合、取締役会は設置できません。その場合、重要な業務執行の決定は、取締役である青木さん自身が行うことになりますが、それに対する監督機能は実質的に働きません。だからこそ、青木さん一人で背負う責任は、より重いと言えるでしょう」 「ひええ…俺一人で、意思決定もするし、それを自分で監督しなきゃいけないってことっすか…。なんか、急に孤独を感じてきたぞ…」
俺は頭を抱えた。これまでの高揚感はどこへやら、一気に重い現実がのしかかってきた。
「俺」が背負う、重い「経営判断」
「神崎さん…要は、社長である俺は、会社のために、自分の財産を管理するよりも慎重に、プロとして責任を持って判断しなきゃいけないってことっすね?」
俺は必死で自分の言葉に翻訳しようと努めた。
「ええ、まさにその通りです。それが『善管注意義務』の本質です」 「じゃあ、俺がこれまで『いけるっしょ!』とか『ノリと勢いっしょ!』とか言って決めてきたこと全部、もしかしたら善管注意義務違反だった可能性もあるってことですか?」 「現時点で会社に損害が出ていなければ問題にはなりませんが、考え方としてはその通りです。特にスタートアップはスピードが命ですが、だからといって無謀な経営判断が許されるわけではありません。むしろ、リソースが限られている分、より慎重な判断が求められる局面も多いでしょう」
神崎さんの言葉は、俺の胸に突き刺さった。俺はこれまで、勢いだけで突っ走ってきた。もちろん、その情熱があったからこそビジラボはここまで来たとも思っている。でも、これからはそれだけじゃダメだ。
「これまで俺は、会社を『俺の城』みたいに考えてたけど、そうじゃない。『株主(今は俺だけだけど)から預かった財産を使って、最大限の利益を生み出す使命を背負った、社会の公器』ってことなんすね…」
俺は深く息を吐いた。初めて、社長という肩書きの本当の重さを理解した気がした。これまでは夢を追いかける高揚感が先行していたけれど、これからはその夢の実現のために、より冷静に、より責任を持って、判断を下していかなければならない。
「情熱はもちろん大事です。しかし、その情熱を正しい方向へ導き、会社を守り、成長させるためには、冷静な『法務』の知識と、それを基にした『経営判断』が不可欠なのです」 「っすね…。マジで、経営って想像以上に奥が深いというか、危ないってことがよくわかりました。今まで軽く考えててごめんなさい」
俺は素直に頭を下げた。神崎さんは小さく頷いた。
「でも、これはネガティブな話ばかりではありません。正しい知識を持って臨めば、その責任の重さは、青木さんのビジネスをより強固なものにする『盾』にもなります。そして、青木さんを信頼して出資してくれる株主や、共に働く従業員、そして社会からの『信頼』を得る基盤にもなるのです」
俺は神崎さんの言葉に、少しだけ光明を見出した気がした。責任の重さを知ることは、決して怖いことばかりじゃない。それが、会社を大きく、強くする土台になる。
会社の未来を担う「役員」としての第一歩
「ふう…。マジで、頭がパンクしそうだけど、やるしかないっすね」
俺は大きく伸びをして、決意を新たにした。神崎さんの言葉はいつも俺の認識の甘さを突きつけるけど、そのおかげで俺は一つずつ、経営者として階段を上れている。
「斉藤さん、今後は俺の適当な発言があったら、ちゃんと『社長、それは善管注意義務に反するのでは?』って言ってくれ!」 「はぁ…社長がそんなこと言うなんて、明日雪が降るんじゃないですかね」
斉藤さんは呆れた顔をしながらも、口元は少し緩んでいた。俺はちょっと悔しいけど、それくらい俺が成長したってことだ。
「よし、やるぞ!俺は、ただの『社長』じゃない。『取締役』としての責任を全うする、ビジラボの『代表取締役』なんだ!」
俺はもう一度、空に向かって拳を突き上げた。これからは、情熱だけじゃない。理性と責任を持って、このビジラボという船を操縦していくんだ。
2. 記事のまとめ (Summary & Review)
📚 今回の学び(神崎メンターの総括)
[学習ポイント1]: 「社長」は社内呼称であり、法的には「取締役」または「代表取締役」が会社の経営責任を負う中核的な役職である。
[学習ポイント2]: 取締役には「善管注意義務(善良な管理者としての注意義務)」と「忠実義務」が課せられ、会社のためにプロとして最大限の注意を払い、誠実に職務を遂行する責任がある。
[学習ポイント3]: 重要な経営判断には重い責任が伴い、安易な判断は会社と経営者個人に損害賠償責任を負わせるリスクがある。特に一人取締役のスタートアップでは、監督機能が働かないため、より自己規律が求められる。
今週のリーガルマインド(神崎の教訓) 「情熱はビジネスの火花ですが、法律はそれを燃やし続ける燃料であり、同時に無闇な延焼を防ぐ防火壁です。経営者は、火花を燃え上がらせる自由と、火事を起こさない責任の両方を負います。」
💭 青木の気づき(俺の学び)
「社長」ってただの肩書きじゃなくて、会社を守るためのマジで重い責任なんだってことを痛感した。特に「善管注意義務」ってやつ、自分の金より慎重にって、どんだけだよ!
これまではノリと勢いだったけど、これからはちゃんとプロとして、法律の知識もフル活用して、会社のことを考えて経営判断しないとダメだってわかった。俺、今日からマジメになります!
一人社長だからって、何でも思いつきでやっていいわけじゃない。むしろ、誰もチェックしてくれない分、俺自身が一番の「ブレーキ」であり、「監督役」にならないとヤバい。
3. 次回予告 (Next Episode)
今回の学びで、俺は「社長」としての責任の重さを痛感した。でも、責任が重いなら、それを誰かがチェックして、いざという時に止めてくれる機能って必要だよな?俺が暴走しそうになった時に、冷静に「待った」をかけてくれる存在って、うちの会社にはまだいない。そんなことを考えていた矢先、斉藤さんがまた新たな書類を抱えてやってきた。
「社長、この『事業報告書』、内容に問題はないんですけど、最終的に誰がチェックするんでしょう?というか、もし社長が大きな判断ミスをしても、それを誰も止められないのって…ちょっと怖いですよね?」
斉藤さんの素朴な疑問が、俺の胸にまた別の不安の種を植え付けた。そうだよな、誰かが俺の判断をチェックしてくれないと、マジで暴走しちゃうかも…。
次回: 第9回 社長の「暴走」を誰が止める? 監査役と会計参与

