「好きで働いてる」は通用しない?スタートアップと「労働時間」の闇

ここで学べる学習用語:労働時間、休憩、休日、変形労働時間制、フレックスタイム制、みなし労働時間制
第11回: 情熱だけじゃ会社は守れない。「好きで働いてる」は通用しない?スタートアップと「労働時間」の闇
真夜中のオフィスで輝く「情熱」の代償
「くぅ〜〜〜、これこれ!この集中、この熱気!やっぱスタートアップはこうじゃねぇと!」
深夜0時を過ぎたインキュベーションオフィス。俺、青木健一は、静まり返ったオフィスの一角で、まだキーボードを叩き続ける田中翔の背中を見つめ、熱いコーヒーを啜っていた。窓の外にはネオンが瞬く東京の夜景が広がるが、このフロアの熱気は、それに勝るとも劣らない。
田中はビジラボ初のエンジニア。先日、神崎さんに厳しく指導されて、ようやく「労働契約」と「就業規則」を整備したばかりだ。入社してまだ数週間だけど、本当に天才。俺が頭の中で描いていたサービスを、恐ろしいスピードで具現化していく。彼のコードがディスプレイに流れていく様は、まるで魔法のようだ。
「田中くん、休憩挟んでるか?」
俺が声をかけると、田中は首を回しながら振り返り、へへっと笑った。
「青木社長!見てくださいよ、あとちょっとでこのバグが…!いやー、マジで面白いっす。これ、早くユーザーに使ってもらいたいんで、僕、もうちょっと頑張ります!」
彼の目には、疲れの色よりも、純粋な「楽しい」という感情と、完成への情熱が宿っていた。まさに、俺が求めていた仲間だ。俺自身も、ビジラボを立ち上げてから、昼夜問わず仕事に没頭してきた。むしろ、寝るのがもったいないとすら思っていた。好きなことを仕事にしてるんだから、これ以上の幸せはない。残業なんて概念は、俺たちの辞書にはない。だって「好きでやってる」んだから。
「おう!無理はするなよ。でも、その気持ちはよくわかる!まさに今のビジラボに必要なのは、田中のその情熱だ!」
俺はそう言って親指を立てた。田中も笑顔で頷き、再びキーボードに向き合う。カチャカチャ、ターン、カチャカチャ…。規則的な音が、俺の胸に高揚感をもたらした。
翌朝。俺が朝イチでオフィスに来ると、田中はソファで毛布にくるまって寝息を立てていた。ディスプレイには、昨夜の続きらしきコードが表示されている。
「マジか…徹夜したのか。すげぇな、田中。これだけ頑張ってくれたら、サービスも絶対成功する!」
俺は起こさないようにそっと毛布をかけ直した。こんな風に自発的に頑張ってくれる社員がいるなんて、本当に恵まれている。これはまさにスタートアップの醍醐味だ。誰かに言われたから働く、じゃない。自分たちが創り出す未来のために、自らの意思で時間を投じる。これこそが、俺が思い描いた会社のあるべき姿だ。
その日、俺は取引先との打ち合わせで外出していた。ランチを終え、オフィスに戻ろうと電車に乗っていると、斉藤さんからメッセージが届いた。
『社長、ちょっとお時間いただけますか?田中の件で、お話があります』
田中の件?何かトラブルでもあったか?いや、田中は真面目だし、問題を起こすようなタイプじゃない。まさか、体調でも崩したのか?俺は少し不安になりながら、メッセージを返した。
『わかった。すぐ戻る』
オフィスに戻ると、斉藤さんが少し困ったような顔で、そして神崎さんがいつもの冷静な表情で俺を待っていた。ソファで寝ていたはずの田中は、もう仕事を始めていた。
「社長、お帰りなさい。少し、田中さんの労働状況についてお話が…」
斉藤さんが口火を切った。神崎さんもそれに頷く。俺は二人の顔を見て、なんとなく嫌な予感がした。
「好き」だけでは許されない。法律が突きつける冷徹な現実
「社長、昨夜の田中さんの勤務記録、確認しましたか?」
斉藤さんが、俺たちの作ったばかりの勤怠管理システム(簡易版だが)の画面を指差した。そこには、田中の退勤時間が「翌日午前3時」と表示されている。その日の出勤時間は「午前9時」。休憩は…ほぼゼロ。
「ああ、見た見た!いやー、田中は本当に頑張ってくれてるよ。最高のエンジニアだ!」
俺が満面の笑みで答えると、斉藤さんはため息を一つ。そして神崎さんが、冷ややかな視線を俺に向けた。
「青木さん、その『頑張り』は、法的に見れば『致命的なリスク』ですよ」
「え、リスク?何がですか?田中は好きでやってるんですよ!俺だって、いつもそうですし。スタートアップってのは、みんなで夢を追って、寝食忘れて働くもんなんじゃないんすか?そういう情熱が大事なんじゃ…」
俺は反論しようとした。しかし、神崎さんの表情は変わらない。むしろ、少し眉をひそめているように見える。
「青木さん。私たちは前回、田中さんと『労働契約』を結びましたね。その契約には、労働時間や休日に関するルールが含まれているはずです」
「もちろんっす!就業規則も作ったし、ちゃんと定めてます!」
「では、その『ルール』と、田中さんの実際の働き方が乖離していることについて、青木さんはどうお考えですか?」
神崎さんの問いに、俺は言葉に詰まった。乖離…?いや、でも、彼は自分の意思でやっている。
「いや、でも、田中は…」
「『好きでやってる』は、法的な言い訳には一切なりません。青木さん、会社は『従業員の労働時間』を適切に管理する義務があります。これは、労働者の健康と安全を守るための、使用者側の『責任』です」
神崎さんの言葉は、俺の頭の中に冷水を浴びせたようだった。責任…?
「労働時間、休憩、休日。これらについて、青木さんは正確に理解していますか?スタートアップだからといって、法律が適用されないなんてことは、決してありませんよ」
彼女の問いかけに、俺はまたフリーズした。労働時間、休憩、休日…。言葉の意味は知っている。でも、まさかそれが、こんなにも厳しく、そして「致命的なリスク」をはらんでいるなんて…。俺の情熱が、法律という名の壁にぶち当たった瞬間だった。
【神崎の法務レクチャー】情熱だけではNG!労働時間管理の基本と多様な働き方
「青木さん、先ほど田中さんの『好きでやってる』というお話がありましたが、これは非常に危険な考え方です。労働基準法は、使用者が労働者の労働時間を管理し、適切な休憩・休日を与えることを義務付けています。これは『労働契約』を結んだ以上、会社が負う最低限の責任です」
神崎さんは冷静に語り始めた。俺はメモを取りながら、必死で彼女の言葉を追う。
「まず、基本中の基本からおさらいしましょう。私たちが最もよく耳にする『労働時間』とは、一体何を指すと思いますか?」
「え、労働時間って、普通に会社にいる時間とか、仕事してる時間じゃないんすか?」
「その認識は半分正解で、半分間違っています。法律上の『労働時間』とは、使用者の指揮命令下に置かれている時間、または使用者の明示的・黙示的な指示により、業務に従事している時間を指します。休憩時間や、たとえ自宅にいても、会社の指示で待機している時間なども含まれる可能性があります」
俺はハッとした。たしかに、深夜までオフィスにいた田中は、ずっと俺の指揮命令下にあったわけじゃない。しかし、彼が「業務に従事している」のは明確だ。
【神崎の補足解説】労働時間(ろうどうじかん)とは?
労働基準法において、使用者の指揮命令下に置かれている時間を指します。業務そのものに従事している時間だけでなく、使用者の指示で待機している時間(手待ち時間)や、作業の準備・後始末の時間なども含まれることがあります。スタートアップにおいては、「好きでやっている」「自発的に残業している」といった労働者の意図に関わらず、客観的に業務に従事していると判断されれば労働時間となります。これを会社が適切に把握・管理する義務があります。
「たとえ労働者が『自発的に』残業していたとしても、会社がそれを黙認していれば、それは『黙示の指示』とみなされ、労働時間として扱われるリスクが高いです。そして、その時間に対する賃金、つまり残業代が発生します。青木さんの会社のように、従業員数が少ないスタートアップでは特に、経営者が社員の労働状況を把握・管理する意識が薄くなりがちですが、これは後に大きなトラブルに発展する可能性を秘めています」
「マジっすか…。俺、完全に勘違いしてました…。じゃあ、田中が徹夜した分も、全部残業代として払わないとダメなんすか?」
俺は頭を抱えた。まだ資金繰りが厳しいビジラボにとって、それはかなりの痛手だ。
「原則としてその通りです。だからこそ、労働時間を厳格に管理する必要がある。次に、『休憩』と『休日』についても見ていきましょう。これらも労働者の健康維持のために義務付けられています」
【神崎の補足解説】休憩時間(きゅうけいじかん)とは?
労働者が労働時間の途中に、権利として労働から離れることを保障された時間です。労働基準法では、労働時間が6時間を超える場合は45分以上、8時間を超える場合は1時間以上の休憩を与えなければなりません。この休憩時間は、労働者が自由に利用できることが必須であり、電話番や来客対応などの「手待ち時間」は休憩と認められません。
「青木さん、先ほどの田中さんのケース。勤務記録では休憩がほとんどありませんでした。彼がもしその時間に仕事の電話を取っていたり、メールをチェックしていたりしたら、それは休憩とは認められません。労働基準法で定められた休憩時間を、労働者に自由に利用させることが使用者の義務です」
「くっ…そうですよね。俺も休憩中にPC開いちゃったりしてますけど…。これもダメなんすね…」
「ええ、経営者自身が率先してルールを守らないと、従業員にも遵守を求めることはできません。そして『休日』。これもまた重要なポイントです」
【神崎の補足解説】休日(きゅうじつ)とは?
労働基準法では、原則として週に1回、または4週間で4回以上の休日(法定休日)を与えることを義務付けています。これに加え、多くの企業では週休二日制など、法定休日以外の休日(所定休日)を設定しています。休日労働をさせる場合には、原則として『36協定』の締結が必要となり、割増賃金の支払い義務が発生します。
「休日は労働者が心身を休ませるためのものです。青木さんの会社は週休二日制ですよね?田中さんがもし休日に出勤していたとしたら、それは休日労働にあたります」
「うわぁ…。もう、これじゃ何にもできねぇじゃねぇっすか!スタートアップって、時間との戦いなのに…。もっと柔軟に働ける方法はないんすか?」
俺は焦りの表情を隠せない。神崎さんは少し考え、頷いた。
「良い質問(疑問)ですね。まさにそこが、スタートアップが法務と向き合うべきポイントです。労働基準法には、労働者の働き方の多様性に対応するための制度も存在します。例えば、『変形労働時間制』『フレックスタイム制』『みなし労働時間制』などです」
1. 変形労働時間制
「まず『変形労働時間制』です。これは、特定の期間(1ヶ月、1年など)の労働時間を平均して、週の法定労働時間(原則40時間)を超えなければ、特定の週や日に法定労働時間を超えて働かせることができる制度です」
【神崎の補足解説】変形労働時間制(へんけいろうどうじかんせい)とは?
一定期間(1ヶ月、1年など)を平均し、1週間あたりの労働時間が法定労働時間(原則40時間)を超えない範囲で、特定の週や日に法定労働時間を超えて労働させることができる制度です。例えば、繁忙期に週48時間、閑散期に週32時間とメリハリをつけて労働時間を設定できます。導入には労使協定の締結や就業規則への記載などが必要です。
「つまり、特定の週は集中して開発を進め、その後はしっかり休む、といった働き方が可能になるわけです。ただし、事前に労使協定で労働日や労働時間を明確に定めておく必要があります。青木さんの会社のように、プロジェクトの繁忙期と閑散期がはっきりしている場合に有効な場合があります」
2. フレックスタイム制
「次に、『フレックスタイム制』です。これは、労働者が日々の始業・終業時刻を自分で決定できる制度です。一定の期間(精算期間)における総労働時間を定めておき、その範囲内で労働者が自由に働く時間を調整できます。コアタイムを設定し、その時間帯は必ず勤務するといった設定も可能です」
【神崎の補足解説】フレックスタイム制(フレックスタイムせい)とは?
労働者が、労使協定で定められた一定の期間(清算期間)における総労働時間の範囲内で、日々の始業・終業時刻や労働時間を自分で決定できる制度です。これにより、通勤ラッシュを避けて出勤したり、子どもの送り迎えに合わせて退勤したりと、柔軟な働き方が可能になります。導入には労使協定の締結が必要です。
「これは、特にエンジニアのような職種で人気が高い制度ですね。朝早く集中したい人もいれば、夜型の人もいる。個人の裁量に任せることで、生産性を向上させる効果も期待できます。田中さんのようなクリエイティブな職種には向いているかもしれません」
「おお!それいいっすね!まさに田中みたいなタイプにぴったりじゃないっすか!これで夜中まで仕事しても、大丈夫になるんすか?」
俺は前のめりになった。しかし、神崎さんは首を横に振る。
「いえ、青木さん。フレックスタイム制を導入しても、総労働時間の枠を超えれば、それは時間外労働です。自由に働けるとはいえ、無限に働けるわけではありません。あくまで『日々の始業・終業時刻を自分で決める』という柔軟性を提供するもので、労働時間そのものを削減するものではないことに注意してください」
ガーン…。また、俺の甘い認識が…。
3. みなし労働時間制
「そして最後に、『みなし労働時間制』です。これは、実際に働いた時間に関わらず、あらかじめ定めた時間(みなし時間)を労働時間とみなす制度です。主に『事業場外みなし労働時間制』と『専門業務型裁量労働制』『企画業務型裁量労働制』の3種類があります」
「はぁ…難しくなってきましたね…」
斉藤さんが俺の隣で呟いた。田中も興味深そうに話を聞いている。
「『事業場外みなし労働時間制』は、営業職などで、会社の外で働く時間が長く、労働時間の算定が難しい場合に適用されます。そして、青木さんが『裁量労働(のつもり)』とおっしゃったのは、おそらくこの『裁量労働制』のことでしょう」
【神崎の補足解説】みなし労働時間制(みなしろうどうじかんせい)とは?
実際に働いた時間にかかわらず、あらかじめ定められた時間数を労働時間とみなす制度です。主に以下の3種類があります。
- 事業場外みなし労働時間制: 営業職など、事業場の外で業務に従事し、使用者の指揮監督が及ばず労働時間の算定が困難な場合に適用。
- 専門業務型裁量労働制: 研究開発、情報処理システムの分析・設計、デザイナーなど、業務の性質上、遂行方法や時間配分を大幅に労働者の裁量に委ねる必要がある専門性の高い業務に適用。 導入には労使協定と所轄労働基準監督署への届出が必要です。
- 企画業務型裁量労働制: 事業運営に関する事項についての企画、立案、調査及び分析の業務で、その遂行方法を労働者の裁量に委ねる必要がある業務に適用。 導入には労使委員会での決議と所轄労働基準監督署への届出、さらに労働者の同意が必要です。
【スタートアップへの影響】 「みなし労働」は、労働時間管理の負担を軽減する一方で、「長時間労働の温床」となりやすいため、厳格な要件と手続きが求められます。特に「専門業務型裁量労働制」は対象業務が限定されており、安易な導入は違法となるリスクが非常に高いです。スタートアップでよく見られる「好きでやってるから残業代は不要」という認識のままでこの制度を導入しようとすると、ほぼ確実に法律違反となります。
「『専門業務型裁量労働制』は、研究開発やシステムエンジニアなど、業務の性質上、労働者の裁量に委ねる必要がある特定の専門業務にのみ適用されます。そして、『企画業務型裁量労働制』は、企画立案などの業務に適用されますが、導入要件が非常に厳しい」
「田中さんのようなエンジニアに適用できそうな制度ですが、これも注意が必要です。裁量労働制だからといって、長時間労働を許容するものではありません。労働者の健康確保義務は依然として使用者側にありますし、導入には厳格な手続きや要件を満たす必要があります。安易に導入すれば、かえってトラブルの元になります」
神崎さんはきっぱりと言い放った。俺は、これまで漠然と「裁量労働」という言葉で片付けていた俺たちの働き方が、いかに危険な状態だったかを思い知った。
「つまり、俺が漠然と考えていた『スタートアップだから情熱で長時間働く』ってのは、法律的には『無管理状態の違法な長時間労働』ってことなんすね…」
俺は額に手を当て、深くため息をついた。
法務の壁にぶつかり、青木が掴んだ「責任」という覚悟
神崎さんの丁寧かつ厳しいレクチャーを受け、俺はすっかり意気消沈していた。これまでの俺の情熱は、法律という名の大きな壁にぶつかって、粉々に打ち砕かれた気分だった。
「青木さん、落ち込んでいる場合ではありませんよ。今、問題に気づけたのは大きな進歩です。大事なのは、これからどうするかです」
神崎さんの言葉に、俺は顔を上げた。
「要はこういうことっすよね?俺たちが『好きでやってる』と思ってたことが、法的には『会社が労働者に、適切な管理をせずに長時間労働をさせていた』ってことで、それは『違法』で、後から多額の残業代を請求されるリスクがある。だから、ちゃんと『労働時間』『休憩』『休日』を管理しないとダメだってこと、っすよね?」
俺が必死に自分の言葉で言い換えようとすると、神崎さんは小さく頷いた。
「はい、その認識で間違いありません。そして、ただ管理するだけでなく、必要に応じて『変形労働時間制』や『フレックスタイム制』のような、今のビジラボの働き方に合った制度の導入を検討すべきだということです」
「でも、それらの制度も、『長時間労働を容認する魔法の杖』じゃない。あくまで、定められた総労働時間の枠の中で、柔軟性を確保するためのもの。裁量労働制なんて、俺の認識とは全然違う、ものすごく厳格なルールがあるってことっすよね…」
俺は、神崎さんが「致命的」と言った意味を、ようやく腹の底で理解し始めていた。情熱は大事だ。でも、その情熱が、気づかぬうちに大切な仲間を危険に晒し、会社を破綻に導く可能性がある。経営者として、それは絶対に避けなければならない。
「はい。ですから、まずは田中さんのように、実態として長時間労働になっている従業員がいないか、改めて労働状況を正確に把握すること。そして、彼らが法律上の労働時間を守れているか、休憩・休日を適切に取得できているかを確認することです。その上で、必要であれば労使協定の締結や就業規則の改定を行い、適切な制度を導入する。これが、青木さんが今すぐに着手すべきことです」
神崎さんの言葉が、俺の胸にずっしりと響いた。俺は、ただ夢を追いかけるだけじゃない。このビジラボという船の船長として、乗組員である仲間たちの安全と、船そのものの安全を守る「責任」があるんだ。
「神崎さん、斉藤さん、田中…。すまない。俺が甘かった。情熱を履き違えてた…。俺の認識の甘さが、みんなにリスクを背負わせてたなんて…」
俺は頭を下げた。田中は少し戸惑いながらも、
「青木社長、僕、本当に好きでやってるんで…」
と、まだ言っている。だが、その言葉の裏に隠されたリスクを、今の俺はもう知っている。
「田中、お前の情熱は、俺にとって何よりも代えがたい。でもな、その情熱を守るのが、社長である俺の責任だ。お前が安心して、ずっとその情熱を燃やし続けられるように、俺が、会社が、ちゃんとルールを守る」
俺は田中の目を見て、真剣にそう言った。
法律という羅針盤が示す、次の航路
「…というわけで、まずは俺たちが作った勤怠管理システムを、もっと厳格に運用する。田中の勤務時間も、今後はもっとしっかり管理させてもらう。休憩もちゃんと取れよ、田中!」
俺は少し恥ずかしかったが、正直に皆に頭を下げ、今後の対応を宣言した。田中は少し不満そうな顔をしたが、最終的には頷いてくれた。斉藤さんは安堵の表情を見せ、神崎さんは小さく微笑んだ。
「青木さんがそのように認識を改められたなら、一安心です。法律は、経営者の自由を奪うものではなく、むしろ健全な事業を継続するための『羅針盤』となるものですから」
「羅針盤…か。なるほどな…」
俺は空になったコーヒーカップを握りしめた。法律を知らないことは、地図もコンパスも持たずに嵐の海へ出航するのと同じ。前回の「労働契約」の話と今回の「労働時間」の話で、それが嫌というほど身に染みた。情熱という名の荒波を乗り越えるには、法務という名の羅針盤が不可欠だ。
「よし!みんな、改めて気合入れていくぞ!今度は、情熱と法律、両方を味方につけて、ビジラボを成長させるんだ!」
俺の掛け声に、斉藤さんも田中も、そして冷静な神崎さんも、それぞれの表情で応えてくれた。この小さなスタートアップのオフィスに、新たな覚悟が満ちた瞬間だった。
2. 記事のまとめ (Summary & Review)
📚 今回の学び(神崎メンターの総括)
[学習ポイント1]: 「労働時間」とは、使用者の指揮命令下にある時間を指し、労働者の「好きでやっている」という主観は法的に通用しない。会社は労働時間を厳格に管理する義務がある。
[学習ポイント2]: 「休憩」は労働者が自由に利用できる時間であり、6時間超勤務で45分以上、8時間超勤務で1時間以上の付与が義務。また「休日」は週1回(または4週4回)の付与が義務付けられている。
[学習ポイント3]: スタートアップでも柔軟な働き方を実現する制度として「変形労働時間制」「フレックスタイム制」「みなし労働時間制」があるが、これらは長時間労働を容認するものではなく、厳格な導入要件と管理が必要となる。
今週のリーガルマインド(神崎の教訓) 「労働法は、企業が成長するための『土台』です。情熱が強ければ強いほど、その土台が脆弱でないか、常に確認しなければなりません。土台がなければ、どんなに素晴らしい情熱の炎も、いつか足元から崩れて消えてしまうでしょう」
💭 青木の気づき(俺の学び)
「好きで働いてるから残業代いらない」なんて、俺の甘い考えだった。俺の情熱が、逆に田中に、そして会社にリスクを背負わせてたなんて、ゾッとする。
「労働時間」「休憩」「休日」って言葉は知ってたけど、その裏にある会社の責任と義務の重さを全然理解してなかった。これは経営者として、絶対に避けて通れない問題だ。
「変形労働時間制」とか「フレックスタイム制」とか、柔軟な働き方を叶える制度があるのは知ったけど、どれも「無限に働ける魔法の杖」じゃない。ちゃんと法律のルールの中で、生産性と安全を両立させる方法を探さないとダメなんだな。
3. 次回予告 (Next Episode)
新たな覚悟を胸に、社員の労働時間管理を始めた俺たちビジラボ。しかし、新しいプロジェクトの納期が迫り、再び「残業」の嵐が吹き荒れる。田中が「36協定って何ですか?」と呟いたその時、神崎さんが青ざめた顔で俺に告げた。「青木さん、もしかして、あなたの会社、まだ『アレ』を結んでいませんか? それは、重大な法律違反ですよ…」
次回: 第12回 「残業」の定義と「36協定」の罠

