「お前、クビ!」は非現実的。「解雇権濫用」って無敵すぎ?

ここで学べる学習用語:解雇、解雇権濫用の法理、整理解雇、懲戒処分、退職
第14回: 社長、それは「クビ」じゃありません! 日本の雇用ルール、その厳しき現実
「やべぇな、これ…」
俺、青木健一は、腕組みをしたままオフィスの一角に立つエンジニア、田中翔の背中を睨みつけていた。時間は午前10時半。今日の定例ミーティングはとっくに終わっている。俺と斉藤は朝9時からオフィスにいて、もう今日のタスクを共有し、午後のアポに向けて準備を進めているところだった。
「社長、田中さんの件、どうします?」
経理担当の斉藤恵が、遠慮がちに俺に声をかけてきた。その声には、田中に対する苛立ちと、俺のリーダーシップへの疑念が入り混じっているように聞こえた。斉藤の視線が、わずかに眉をひそめているのがわかった。
最近、田中は遅刻が常態化していた。最初は「スタートアップだから、多少は自由でいいだろう」と鷹揚に構えていた。というか、俺自身も新卒で入った大手企業で、始業時刻に間に合わせるためだけに無駄に急いだり、早く出社したりすることに意味を見出せないタイプだったからだ。それに、田中は開発力がずば抜けている。深夜までコードを書き、その才能を惜しみなくビジラボに注いでくれている。だから、多少の遅刻くらいは目をつぶっていた。
「田中くん、すごいな! 夜中までやってくれたのか!」
最初、俺はそんな風に彼を褒め、彼も「いやー、夢中になっちゃって」と照れくさそうに笑っていた。それが、数週間の間は続いた。しかし、今は違う。田中は、遅刻してきても特に悪びれる様子もなく、どこか疲れた顔で席に着く。そして、数時間たっても、昨晩の続きとばかりにダラダラとコードを書き続けるのだ。
「遅刻するなら、遅刻しますって連絡くらいしろよな…」
俺は内心で苛立ちを募らせていた。ビジラボはまだ小さい。たった数名のチームだからこそ、お互いの信頼関係と連携が生命線だ。田中がどれだけ優秀だろうと、遅刻が続けば他のメンバーの士気にも影響する。何より、クライアントとのオンラインミーティングにすら遅刻しそうになったことが、最近一番のピンチだった。俺が必死に謝って事なきを得たが、相手の顔は明らかに「あのスタートアップ、大丈夫か?」と言いたげな表情だった。
「社長、昨日も田中さん、結局ミーティングには間に合わず、後から議事録確認するとか言ってましたけど…」
斉藤の言葉が、俺の怒りの導火線に火をつけた。たしかに、田中はいつも「後から確認します」と言うが、本当に確認しているのか、怪しい部分もあった。何よりも、開発以外の業務、例えばクライアントとの打ち合わせや、社内での方針決定などに対する意識が希薄になっている気がした。
「田中ぁあああ!」
俺は我慢できず、大声で田中の名を呼んだ。田中は肩をびくっと震わせ、振り返る。その目には、少しの戸惑いと、あからさまな不満が浮かんでいた。
「田中、ちょっといいか?」
俺は田中を会議室に呼び出した。斉藤も心配そうな顔で俺たちを見送る。会議室のドアが閉まると、途端に密室特有の重い空気が流れた。
「田中、最近遅刻が多いのはどういうことだ? 今日も今日のクライアントとの打ち合わせ、お前も同席する予定だったのに、まさか朝まで起きてたなんて言わないよな?」
俺の声は怒りで震えていた。田中は視線を床に落とし、しばらく無言だったが、やがて低い声で答えた。
「すみません…ちょっと、集中しちゃうと時間忘れちゃって…」
「集中はいいことだ! でも、会社には会社のルールがあるだろ! お前一人の行動が、ビジラボ全体の信用に関わるんだぞ!」
俺は感情のままにまくし立てた。青い顔の田中は、視線を俺から逸らし、会議室の壁に貼られたホワイトボードのほうを見つめている。そこに書かれているのは、未来のプロダクト構想と、チームで達成したい目標の数々だ。それらが、今はひどく皮肉に見えた。
「このままだと、お前、他のメンバーにも迷惑かけることになるぞ。マジでどうすんだ? 何度注意しても改善されないなら、俺だって考えざるを得ないんだぞ!」
俺は、そこまで言ってから、はっと我に返った。俺の口から、今、何が出かかっていた?
「まさか…クビ、とか…」
田中が怯えたように呟いた。その言葉を聞いて、俺の頭の中にも同じ言葉が浮かび上がっていた。 「そうだ。こんな奴、クビにしてしまえばいい。能力があっても、組織のルールを守れない奴は要らない!」 そう思った瞬間、背後から冷たい声が聞こえた。
「青木さん、その認識は『致命的』に間違っていますよ」
振り返ると、いつの間にか神崎凛が会議室のドアの前に立っていた。その顔はいつも通り冷静だが、どこか不気味なほど冷徹な光を帯びていた。
「クビ」は伝家の宝刀? 社長を惑わす危険な思考
神崎の冷ややかな声に、俺は一瞬で血の気が引いた。田中も、神崎の登場に安堵するどころか、さらに顔を青ざめさせている。神崎は、いつも俺の危ない橋を渡りそうな時に、まるで幽霊のように現れる。その度に、俺は自分の無知を思い知らされるのだ。
「神崎さん…!」
俺はほとんど叫ぶように言った。神崎は表情一つ変えずに会議室に入ってくると、田中の隣に座るよう促した。田中はまるで尋問される犯人のように、ぎこちなく椅子に腰を下ろした。
「青木さん、『クビ』というのは、あなたが思っているほど安易に使える言葉ではありません。法的には『解雇』と言いますが、日本ではこの『解雇』のハードルが非常に高いのです。下手なことをすれば、会社全体が取り返しのつかない状況に陥る可能性すらあります」
神崎の言葉は、まるで鋭利なメスのように俺の頭の中に切り込んできた。俺は、感情のままに「クビ」という言葉を振り回そうとしていた自分を恥じた。
「高いって…どれくらい高いんすか? 遅刻を繰り返す社員をクビにできないって、じゃあどうしろって言うんすか、俺は!?」
俺は半ば逆ギレ気味に神崎に詰め寄った。正直、この状況で田中を擁護するかのような神崎の態度に、わずかながら不満も感じていた。従業員の雇用を守るのが会社の役目だ、という理屈は分かる。しかし、それが組織全体の足を引っ張るような事態になったら、どうすればいいのか?
「良い質問ですね、青木さん。感情的になるのは分かりますが、そこを感情論だけで進めてしまっては、まさに火に油を注ぐことになります」
神崎はそう言って、冷静に俺を見据えた。まるで、俺の心の中を丸ごと見透かしているかのような視線だった。
「まず、大前提として認識してください。『労働契約』とは、会社と従業員が対等な立場で結ぶ契約であり、その解除(解雇)には厳しい法的な制約がある、ということを」
彼女はそう前置きし、ホワイトボードにマジックペンで大きく「解雇」と書き出した。その文字が、なぜか途方もなく重く見えた。
「今回の件でいえば、青木さんは『田中さんの度重なる遅刻』を理由に『解雇』を検討しているのですね。しかし、日本の法律では、そのような行為を『客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない』と判断された場合、その解雇は無効となります。これを『解雇権濫用の法理』と言います」
神崎は、流れるように核心的な用語を提示した。俺は「かいこけんらんようのほうり…?」と、初めて聞くその言葉を頭の中で反芻した。そのあまりにも仰々しい響きに、俺は再びフリーズした。
メンター神崎の法務レクチャー:解雇の壁と懲戒のプロセス
「青木さん、落ち着いてください。先ほどの『解雇権濫用の法理』という言葉、少し難しく聞こえるかもしれませんが、簡単に言えば『会社が従業員を解雇する際には、ちゃんと筋の通った理由と、常識的な手続きが必要ですよ』という、労働者を守るための非常に強力なルールだと思ってください」
神崎はそう言って、俺の前の席に座り、俺と田中、そして斉藤を交えた四者面談のような形になった。斉藤も、興味津々といった様子で耳を傾けている。
「まず、『解雇』とは、会社が一方的に従業員との労働契約を終了させることを指します。これには、大きく分けて『普通解雇』、『懲戒解雇』、そして『整理解雇』の三種類があります」
神崎は指を三本立てて見せた。
「青木さんが今考えているのは、おそらく『田中さんの勤務態度が不良だから』という理由での解雇、これは『普通解雇』、あるいは最も重い『懲戒解雇』にあたるところでしょう」
俺は頷いた。まさにその通りだ。
「しかし、先ほども申し上げた通り、日本では『客観的に合理的な理由』と『社会通念上の相当性』が求められます。これは、例えば『ちょっと気に入らないから』とか、『何度か遅刻したから』といった程度の理由では、絶対に認められません」
【神崎の補足解説】解雇権濫用の法理(かいこけんらんようのほうり)とは?
労働契約法第16条に定められる法理で、「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」と規定されています。これは、会社が一方的に労働契約を解除する解雇権の行使を厳しく制限し、従業員の生活の基盤である雇用を保護するための非常に重要な原則です。ビジラボのようなスタートアップでも、従業員を一人でも雇った時点でこのルールは適用されます。
「この法理が非常に強力なため、多くの判例では、会社は解雇に至るまでに『段階的な指導』や『改善の機会の提供』、『配置転換の検討』など、あらゆる努力を尽くしたことを証明する必要があります。田中さんのような遅刻のケースであれば、いきなり解雇はまず不可能です」
「え、じゃあ、田中が何度遅刻してもクビにできないってことっすか? そんなの、あまりにも会社に不利じゃないですか!?」
俺は愕然とした。これでは、どんなに問題のある社員でも、会社は泣き寝入りするしかないのか?
「不利に感じるかもしれませんが、これは『労働者の生活を守る』という公的使命を帯びた、社会全体で合意されたルールです。では、どうすればよかったのか。そこで重要になるのが、『懲戒処分』という段階的な対応と、その根拠となる『就業規則』の存在です」
神崎はそう言って、改めてホワイトボードに「懲戒処分」と書き加えた。
「『懲戒処分』とは、従業員が会社のルール(就業規則)に違反した場合に、会社が科す罰則のことです。これも、勝手に決められるものではなく、必ず就業規則にその種類と内容、そして処分の手順が明記されていなければなりません」
【神崎の補足解説】懲戒処分(ちょうかいしょぶん)とは?
企業が従業員の規律違反に対して科す制裁のことです。その種類には、口頭での注意を厳重に行う「けん責」、給与から一定額を差し引く「減給」、一定期間出社を禁止する「出勤停止」、職位を下げる「降格」、そして最終手段としての「懲戒解雇」などがあります。いずれの処分も、就業規則に明記されている必要があり、処分の理由や内容が客観的・合理的に判断されることが求められます。スタートアップでは就業規則がないこともありますが、これは非常に危険です。
「懲戒処分には、軽いものから順に『けん責(厳重注意)』、『減給(給与カット)』、『出勤停止』などがあります。そして、最も重いのが『懲戒解雇』です。しかし、この『懲戒解雇』も、その名に『解雇』とあるように、『解雇権濫用の法理』の対象となります」
「つまり、ただの遅刻でいきなり懲戒解雇はできないと?」
「その通りです。例えば、田中さんの遅刻のケースでは、まずは口頭で厳重に注意し、それが改善されないようであれば『けん責』、それでも改善が見られない場合に『減給』、そして最終手段として『出勤停止』などを検討していく、というような段階的なプロセスが必要です」
神崎は淡々と説明する。俺は、これまで「口頭で注意したから十分だろ」と思っていた自分の甘さに、冷や汗が止まらなかった。
「さらに、これらの懲戒処分を行う際には、『適正な手続き』を踏む必要があります。例えば、従業員に弁明の機会を与えること、証拠に基づいて事実確認を行うこと、他の従業員との公平性を保つことなどです。これら全てを怠ると、たとえ就業規則に記載があったとしても、懲戒処分そのものが無効と判断されるリスクがあります」
「うわぁ…なんか、面倒くさ…いや、大変っすね…」
俺は正直な感想を漏らした。感情のままに動くことの、なんと恐ろしいことか。
「非常に大変です。しかし、会社と従業員の信頼関係を維持し、公正な組織運営を行うためには不可欠なプロセスです。これを怠ると、不当解雇として裁判を起こされ、多額の損害賠償や、最悪の場合『解雇無効』として職場への復帰を命じられることもあり得ます」
「復帰!? そんなことになったら、もう田中とは一緒に働けないっすよ!」
俺の焦りが最高潮に達した。神崎はわずかに首を傾げ、俺に問いかけた。
「青木さん、では仮に、田中さんが『自己都合』で退職してくれたら、それが一番望ましい、ということでしょうか?」
「そりゃ、そうっすよ! 揉めずに辞めてくれれば…」
「では、『解雇』と『退職』の違いも整理しておきましょう。『退職』には、いくつかパターンがあります」
神崎は再びホワイトボードに向かった。
「まず、従業員自身の意思で労働契約を終了させる『自己都合退職』。これは、従業員が退職届を提出し、会社が受理すれば成立します。基本的に会社が拒否することはできません」
「ふむふむ」
「次に、会社と従業員が話し合いの末、双方の合意に基づいて労働契約を終了させる『合意退職』。いわゆる『退職勧奨』に応じて退職する場合もこれに当たります。会社から退職を勧める際には、従業員に十分な考える時間を与え、退職を強要したとみなされないよう注意が必要です。無理強いは『退職の強要』として違法となる可能性があります」
「なるほど…無理やり辞めさせるのはダメってことか」
「そして、『会社都合退職』。これは、会社側の事情によって労働契約が終了する場合を指します。例えば、会社の倒産や、先ほど触れた『整理解雇』などがこれにあたります。従業員にとっては、失業保険の給付期間が長くなるなどのメリットがありますが、会社側にとっては助成金が受けられなくなったり、対外的な信用を失ったりするデメリットがあります」
【神崎の補足解説】整理解雇(せいりかいこ)とは?
会社の経営上の理由(経営不振、事業縮小など)により、人員削減を目的として行われる解雇のことです。これは、従業員の落ち度による解雇ではないため、特に厳格な要件が求められます。具体的には、「人員削減の必要性」「解雇回避努力義務の履行」「人選の合理性」「手続の相当性」という4つの要件を全て満たす必要があります。これらを全てクリアすることは非常に困難であり、スタートアップが経営不振に陥っても、安易に整理解雇を行うことはできません。
「整理解雇の4要件は非常に厳しいものです。例えば『解雇回避努力義務』というのは、解雇を避けるために、希望退職者の募集、役員報酬のカット、配置転換、残業規制など、あらゆる努力を会社が尽くしたことを意味します」
神崎の解説を聞きながら、俺は冷や汗が止まらなかった。俺はこれまで、労働契約や従業員のことについて、あまりにも無知だった。情熱だけで突っ走っていたことが、どれだけ危険なことだったか。田中を「クビだ」と感情的に言った俺は、まさに崖っぷちに立っていたのだ。
青木の理解と葛藤:感情論から戦略的思考へ
神崎さんの解説は、俺の頭の中に冷水を浴びせるような衝撃だった。感情的に「クビだ!」と叫んだ俺は、まさに無知の極みだった。日本の労働法制は、従業員の生活を守るために、こんなにも厳しく、そして複雑なルールで成り立っているとは。
「神崎さん…要は、俺が感情的に田中を『クビ』にしようとしたら、それは会社にとって取り返しのつかない大ダメージになりかねない、ってことですよね?」
俺は震える声で尋ねた。神崎は静かに頷いた。
「その通りです。会社が不当な解雇をすれば、裁判に発展し、多額の金銭を支払うことになったり、社会的な信用を失ったりする可能性があります。何より、他の従業員にも『この会社は、社長の気分で簡単にクビになるのか』という不信感を与え、士気を低下させることにも繋がりかねません」
その言葉は、まるで俺の胸ぐらを掴んで揺さぶるようだった。そうだ、ビジラボは俺一人で成り立っているんじゃない。斉藤や田中、そしてこれから入ってくるであろう仲間たち、全員で作り上げていくものだ。そのトップである俺が、感情のままに社員を切り捨てようとしたら、誰が俺についてくるだろう?
「俺、全然ダメな社長っすね…。従業員のことを、ちゃんと『人』として見てなかったのかもしれないっす…」
俺は頭を抱えた。田中は、これまでずっと沈黙を守っていたが、俺のその言葉を聞いて、わずかに顔を上げた。その目に、今度は不満ではなく、少しの困惑と、ほんのわずかな安堵のようなものが浮かんでいたように見えた。
「田中、お前も…ごめん。俺も感情的になりすぎた。だけど、このままじゃ困るのも事実だ。お前の開発力はビジラボに必要だ。それは間違いねぇ」
俺は田中に向き直って、素直に謝った。謝罪の言葉を口にするのは、いつだって難しい。だが、今、俺は経営者として、一人の人間として、そうするべきだと強く感じていた。
「…すみません、社長。俺も…最近、ちょっとだらしなかったです。まさか、そこまで大変なことになるなんて、思ってなくて…」
田中もまた、ようやく重い口を開いた。彼の言葉に、俺は少しだけ救われた気がした。彼は完全に開き直っていたわけではないのだ。ただ、俺と同じく、雇用に関する知識がなかっただけなのかもしれない。
「じゃあ、俺たちはどうすればいいんすか? このままじゃ、田中も俺も、他のメンバーも、誰もが納得できないままだ」
俺は、これまでの感情論を捨て、現実的な解決策を求めた。神崎は、そんな俺の変容を、満足げな表情で見つめていた。
「良い変化ですね、青木さん。感情論ではなく、問題解決に向けて思考を切り替える。それが、まさに経営者に求められる姿勢です」
神崎はそう言って、再びホワイトボードに視線を向けた。
「まずは、ビジラボの『就業規則』を早急に整備することです。そして、その規則に則って、田中に正式な注意喚起を行い、改善を求めるプロセスを構築する。これが第一歩です」
「就業規則…あ、前に斉藤と少し話したやつですね」
俺は以前、斉藤が「就業規則、そろそろちゃんと作りませんか?」と言っていたのを思い出した。その時は「まだ小さい会社だし、後でいいだろ」と軽く流してしまったのだ。またしても、自分の先見の明のなさを痛感する。
「その通りです。第10回で『労働契約』の話をしたのを覚えていますか? あの時も、口約束の危険性を解説しました。就業規則は、会社と従業員の間の『ルールブック』であり、懲戒処分を行うための根拠となるものです。これがなければ、何か問題が起きた時に、会社は法的に非常に弱い立場に立たされます」
「ぐっ…耳が痛いっす…」
「そして、その規則に基づいて、田中さんと真摯に向き合うことです。なぜ遅刻が常態化しているのか、彼の抱える問題や不満がないかを聞き、改善に向けた具体的な目標設定やサポートを約束する。それでも改善が見られない場合に、就業規則に則って段階的な懲戒処分を検討していく、という順序になります」
神崎の言葉は、俺に明確な道筋を示してくれた。感情的な怒りではなく、論理に基づいたプロセス。これこそが、会社のルールであり、従業員を守るための道なのだ。
解決への一歩と小さな成長:ルールが育む会社の未来
「なるほど…。社長の感情論で振り回されるんじゃなくて、会社としてちゃんとルールに則って対応していくってことっすね…」
俺は大きく息を吐き出した。頭の中で散らばっていた感情の破片が、神崎の言葉によって一つ一つ整理されていくような感覚だった。田中も、俺の隣でじっと耳を傾けている。
「斉藤、申し訳ない。就業規則の整備、すぐに取りかかろう。前に言ってくれてたのに、俺が軽んじてた」
俺は会議室の外で心配そうに様子を窺っていた斉藤を呼び寄せ、頭を下げた。斉藤は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに穏やかな表情に戻った。
「もちろんです、社長。すぐに専門家の方とも相談して、ビジラボに合ったものを作成します」
「田中。お前とも、改めてちゃんと話したい。俺も感情的になりすぎた。ごめん。だが、ビジラボはチームだ。お前の力が必要だからこそ、お前にはビジラボのルールの中で最大限の力を発揮してほしい。遅刻の問題、一緒に解決しよう」
俺は田中に向かって、まっすぐ目を向けた。田中は、まだ少しバツが悪そうな顔をしていたが、ゆっくりと頷いた。
「…はい、社長。すみませんでした。ちゃんと、改善します」
その声に、ようやく決意の色が宿ったように聞こえた。俺は、ほっと胸をなで下ろした。
今回の騒動は、俺にとって大きな学びだった。人を雇うということは、その人の人生の一部を預かるということ。そして、会社を経営するということは、感情論だけでなく、法的な視点と合理的なプロセスを持って判断を下すことの重要性。
「法務、マジでヤバいけど、やるしかねぇ…。俺、社長として、もっと成長しないと…」
俺は、神崎の横顔を見つめながら、改めて経営者としての責任の重さを痛感していた。怒りや焦りだけでなく、冷静な判断力と、何よりも「ルール」を理解し尊重する姿勢。それが、ビジラボの未来を築くために、俺に今一番必要なことだと、心の底から理解したのだった。
2. 記事のまとめ
📚 今回の学び(神崎メンターの総括)
[学習ポイント1]: 会社が従業員を「解雇」することは、法律によって厳しく制限されており、客観的・合理的な理由と社会通念上の相当性が求められる「解雇権濫用の法理」が存在します。安易な解雇は会社の信用失墜と多大な損害賠償に繋がります。
[学習ポイント2]: 規律違反に対しては、就業規則に基づいた「懲戒処分」を段階的に行うことが原則です。けん責、減給、出勤停止などの種類があり、それぞれ適正な手続きと証拠が必要です。就業規則の整備は、スタートアップにとっても必須です。
[学習ポイント3]: 「退職」には自己都合退職、合意退職、会社都合退職などがあり、それぞれ法的な意味合いが異なります。会社からの「退職勧奨」も、強要とみなされないよう慎重な対応が求められます。
今週のリーガルマインド(神崎の教訓) 「従業員を雇うということは、その人生の一部に責任を持つということです。あなたの情熱は尊いものですが、感情のままに刃を振るえば、それは会社という組織そのものを傷つけ、信頼を失うことになります。法は、会社と従業員、双方を守るための『護身術』なのです」
💭 青木の気づき(俺の学び)
- 「まさか、『クビ』にするのがこんなに大変だとは…。俺、今までどんだけ軽い気持ちで、その言葉を口に出してたんだって、ゾッとした。従業員は『部品』じゃなくて『人』なんだ。その『人』を雇うってことの重さを、全然分かってなかった…」
- 「就業規則って、面倒なものだと思ってたけど、会社の『ルールブック』としてめちゃくちゃ大事なんだな。これがなければ、何か問題が起きた時に会社が守られなくなる。感情論じゃなくて、ちゃんとルールに則って段階的に対処していくこと、それが『社長の仕事』なんだって痛感した。」
3. 次回予告
今回の「田中クビ騒動」を乗り越え、法務の重要性を骨身に染みて理解した俺。就業規則の整備を急ぎ、田中との信頼関係再構築に向けて一歩を踏み出した。だが、これまでの「基礎構築期」で学んできたことは、本当に身についているのだろうか?
そんな俺の不安を察したかのように、神崎さんがニヤリと笑い、こう告げたのだった。
「青木さん、そろそろあなたの『法務基礎力』をチェックする時期ですね。来週、抜き打ちテストを実施します」
抜き打ちテスト!? マジかよ! 俺、ビビりまくり! これまで学んだ「法源」から「労働契約」まで、全部頭に入ってるか…?
次回: 第15回 抜き打ちテスト!【第1章まとめ:基礎構築編】

